祖母の訃報を聞いて宮古島へ戻っています。
教師として生涯を教育者として生きた祖母
28歳で戦争未亡人となり
女手一つで三人の子供を苦労して育て
国費自費で医学部へ進み
宮古島で開業した息子を38歳で亡くすという困難にも立ち向かい
前向きに歩みを進めてきた祖母は
厳しさと優しさを併せもった素晴らしい女性でした。
教員を退いた後も教え子の皆さんから慕われていた祖母
私も小学校や中学校の担任の先生から
キヨ先生のお孫さんなの?
先生の憧れの先生なんだよ。
と言われた事もありました。
教え子の皆さんとの交流は
現役を退いた後も続き、
今日のお別れのミサにも
教え子の皆さんが駆けつけてくれて
祖母との別れを惜しんでくれました。
教師は祖母にとってまさに天職だったのだと思います。
多く人に愛された祖母は
私にとって誇りであり憧れの女性です。
地上での歩みは96年間で幕を下ろしましたが
天国で祖父や叔父さんと再会していることを信じて
学校ばぁちゃん
本当にありがとう